編集集団WawW!

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編集集団WawW! Publishingが編集協力した『ハッタリの流儀』の発売を記念して、著者の堀江貴文さんからの寄稿です。



「自分の時間」と「他人の時間」

いつも「忙しい、忙しい」と言っている人がいる。残業続きで有給も取れず、土日も出勤。会社の言いなりになって働いていれば、どんどん仕事は増えていくだろう。 

しかし、仕事の量で言えば、僕だって負けてはいない。僕はメールマガジン『堀江貴文のブログでは言えない話』に近況を書いているが、読者から「堀江さん、そんなに忙しくて大丈夫ですか?」とよく聞かれる。当の僕としては、忙しいと思うこともあるけれど、そんなにたくさん仕事をしているつもりはない。

同じ時間働いていても、「忙しくて大変」と感じる人と「さほどでもない」と感じる人がいる。この二人、一体何が違うのだろうか。答えは簡単。前者は「他人の時間」を生きていて、後者は「自分の時間」を生きているのだ。 

僕は「自分の時間」を生きることで毎日を満たしている。自分のことで忙しいのだから、全く苦しくない。どんなに忙しくても、むしろ楽しくてしかたないのだ。 

グルメ店舗を紹介するサービス『TERIYAKI』のプロデュースをしているため、美味しいものを食べるのも仕事のひとつだ。飲み会で多くの人と知り合い、そこからさまざま企画が生まれた。また、「人狼」というゲームを楽しんでいるうちに、人狼ゲームの舞台を主催することになったし、人狼ゲームアプリの監修も務めた。 

「自分の時間」を生きていれば、楽しい毎日を送ることはそう難しくない。むしろ、忙しいことが幸せになっていく。ところが、「忙しいから不幸だ」と感じている人が非常に多い。この不幸は、忙しいことから起こるのではなく、「他人の時間」に縛られてしまうから起っているのだ。 

僕の場合、多くのプロジェクトに携わっているため、毎日朝から晩までびっしり予定が詰め込まれている。休む暇など、もちろんない。しかし、そんな状況になっていくほど、新しいアイデアを次から次へと思いついてしまう。そして、また新しいプロジェクトが立ち上がる。僕が忙しいのは、ある意味自分のせいなのだ。 

スケジュールは常にパンパン。しかし、僕の体感としては、そんなにたくさん仕事をしているようには思わない。どの仕事も楽しんで携わっているし、すべてが充実しているから、あまり忙しいという感覚にならないのだ。 

また、イヤなことはやらないようにしているというのも、大きな要因だ。やりたくない仕事はそもそも受けないし、業務上発生する面倒な作業は、すべて最適化・効率化している。好きなことだけやっていれば仕事が回るように、環境を整えているというわけだ。 

よく「好きなことをやったほうがいい」と言われるが、これは、好きなことであれば、毎日の積み重ねを努力だと感じずに楽しくこなせるからだ。好きでもないことを「やらねばならぬ」と歯を食いしばってやっていたのでは、苦しくて当たり前。ちょっとした失敗で、心も折れてしまうだろう。ところが、本当に好きなことなら、心が折れることなく、ハマり続けることができる。 

最初からうまくいく人など存在しない。面白いと感じること、好きなことを追いかけて、ハマり続ける。こうすることで、ちょっとやそっとの努力では他人が真似できないような独自のスキルを身につけることができるのだ。 


人生から「ワクワクしない時間」を消していけ 

「自分の時間」を生きるために最も大事なこと。それは、一日二十四時間の中から「ワクワクしない時間」を減らしていくことだ。 嫌な仕事は、やっていても楽しくない。効率は悪くなるし、能力だって発揮できないだろう。嫌な仕事など抱えていては、大量のプロジェクトを動かしていくことなど、到底できない。 

僕は今、ホテル暮らしをしている。掃除や洗濯などの家事は、一切やらない。これは別に、家事などせずに仕事に集中しろという話ではない。僕が掃除にハマっているなら、喜んで掃除をするだろう。しかし僕は、掃除に対してちっともワクワクしないのだ。限りある時間を、そんな無駄なことに使ってはいられない。だから僕は「やることリスト」の中から、「掃除」という項目を削除した。 

どうやら日本には「家庭のことは自分でやるべきだ」という変な社会通念がまかり通っているようだ。家政婦やベビーシッターを頼むことをよしとしない風潮がある。やりたくもない家事に消耗し、育児ノイローゼになったり、介護で人生を犠牲にしたりするなんて、バカバカしいにもほどがある。それならば、金で解決してしまったほうがずっといいではないか。 そして浮いた時間を、自分が「ワクワクすること」で埋めつくそう。 

僕もあなたも、一日の持ち時間は平等に二十四時間だ。それなのに、なぜ僕は好きなことばかりやっていられるのか。それは、自分がワクワクすること、ゾクゾクすること以外のすべてを、人に任せているからだ。 

僕は非常にせっかちなタイプである。しかし、面白いことにだったら、何時間でも集中できる。重要なのは、「絶対時間」ではなく「体感時間」のほうなのだ。 

誰にでも経験があるだろう。好きな人とデートをしている時は、あっという間に時間が過ぎる。その一方で、朝礼やつまらない会議に出ている時は、なかなか時計が進まない。 僕は、後者のような「体感時間の長い」予定は、自分の人生からどんどん排除していった。 

一度、自分の一日のタイムスケジュールを書き出してみるといい。二十四時間のうち、ワクワクしないことにどれほどの時間を費やしているか。そのことに気づいたら、ワクワクしない時間を減らしていこう。 


つまらない人、ウザい人とは付き合わない

それができたら次は、つまらない人、ウザい人、「自分の時間」を平気で奪うような人とは、意識的に距離を取ることだ。「自分の時間」を生きるためには、「ワクワクしない時間」を減らすのと同じくらい、「付き合わない人間」を明確にすることが大切である。

どうでもいい人となんとなく付き合い、心にもないお世辞を言ったり、愛想を振りまいたりしている間に、人生なんて終わってしまうのだから。 自分がやりたいことを次々と実現していきたいのなら、「自分の時間」を奪う人間と付き合ってはいけない。

あなたは、周囲からの批判を恐れ、「他人の時間」を生きてしまってはいないだろうか? やりたくないことはやらない。付き合いたくない人とは付き合わない。自分が今、「自分の時間」を生きているのか、「他人の時間」を生きているのか。このことにもっと敏感になるべきだ。 

他人の目を気にするあまり、「自分の時間」を生きられない人が多すぎる。限りある人生なのだから、「自分の時間」を無条件で他人に譲り渡すようなことがあってはならない。 「他人の時間」を生きるなんて、自分の人生に対してあまりに失礼な態度ではないか。 


「自分の時間」を売ってはいけない

あなたはいま、働くことと我慢することは表裏一体だと思っていないだろうか。そして、給料を、我慢したことへの対価だと思ってはいないだろうか。もしそうだとしたら、人生は確実につまらないものになっていく。我慢料としてお金を受け取っていたのでは、仕事を嫌いになり、お金に偏見を持ってしまう。 

仕事というのは、人生で最も多くの時間を投じるもののひとつだ。その仕事を我慢の時間にしてしまうなんて、どう考えても間違っている。 

多くのサラリーマンが、自らの「労働」ではなく、費やす「時間」をお金に換えている。とりあえず定時に出社して、昼食を三〇分ですませ、さほど忙しくもないのにサービス残業をする。定時で退社することに、なんとなく気が引けるからだ。自らの大切な時間を差し出すことで「こんなに頑張っていますよ」と周囲にアピールし、給料をもらう。 

もし、時間が無限に与えられているのであれば、なんの問題もない。好きなだけ時間を切り売りすればいいだろう。しかし、そうではない。時間は有限である。老いも若きも男も女も、国籍や貧富の差にも関係なく、どんな人にとっても一日は二十四時間だし、一年は三六五日なのだ。だから当然のこと、残業に時間を費やせば、その分プライベートな時間が失われていくことになる。 

自分のプライベートを削ってまで残業していたのでは、どうしたって、仕事に縛られいると感じたり、お金に縛られていると感じたりしてしまう。これは「労働」ではなく「時間」を差し出している人に、必ずついてまわる問題だ。 

自分の時間を差し出すことで、月に一度、自動的に給料が振り込まれる。そんなもの、仕事と呼ぶことはできない。第一これでは、ちっとも楽しくないだろう。サラリーマンであろうとも、自らの給料を稼ぎ出しているという意識を持たなければならない。 

人生が豊かになっていかない根本的な原因は、「時間の使い方」にこそある。自分の時間を無条件に他人に搾取される環境においてはいけない。結局、高いスキルや能力といった時間以外のリソースを持っていない状況が、そもそもの元凶なのだ。 

ここまでの話を聞いた上で、

「でも……、今はまだ条件が整っていないから『自分の時間』ばかりを生きるのは無理そうだ…… 

そう思った人に朗報がある。 

そういう人でもこれから贅沢に「自分の時間」ばかり生きられるようになる方法のすべてを、『ハッタリの流儀』の中に全部書いた。人生をうまくいかせるには、まずは気づいた人だけが知っている、ちょっとしたコツを知る必要があるのだ。(堀江貴文)



※堀江さんの寄稿文を随時更新していきます。
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編集協力:編集集団WawW! Publishing 乙丸益伸、ライティング:稲田和絵( https://book-writer.com/profile 

このサイトの運営元である編集集団WawW! Publishingが企画・編集した『起業3年目までの教科書』(トライフォートCEO大竹慎太郎著)のPART1の中からの公開です。



 これはある若者の話だ—。

 彼は大学四年生の夏に、志の高い友人たちとともに、ITベンチャーを立ち上げた。スマートフォン向けのゲームアプリを開発する会社だ。幼少の頃よりゲームが好きだった彼は、卒業後はゲームをつくる仕事をしたいと思っていた。だが、新卒採用を行っている大手ゲーム会社やIT企業に就職することはなかった。なぜならプログラミングの才能があったからだ。

彼は自分がやりたいと思う面白いゲームを、自分ひとりでつくることができた。在学中には、簡単なパズルゲームなどをいくつか開発し、実際に発表していた。広告をつけることで少しの収入も手にしていた。その経験から、自分はこれで生きていけると確信した。「パズドラ」や「モンスト」を超えるスマホゲームを企画し、大きなゲーム会社をつくるんだ! そう夢に燃えた。

 会社の立ち上げ前に、知り合いのつてをたどってある有名なIT起業家に会えることになった。その会社のシンプルだが豪華なしつらえの社長室で、つくったばかりの名刺を丁重に渡した。自分でプログラムを書くことができること。ゲームが好きで好きでたまらないこと。最初は少ない人数で始めようとしていること。自分の能力と実績、そして今後自分がやろうとしている事業について話した。

 10分ほど話したところで、相手の起業家はこういった。

 「世の中そんなに甘いもんじゃないよ」

 彼は、「はは、すみません」と謝った。もちろん簡単に会社が軌道に乗るとは思っていない。だが、やる気と自信、そして彼のこれまでの助走ともいえるゲームの開発経験から、どんな荒波でも乗り越えてみせます、そう彼は語った。

 「君のビジネスモデルは、当たるか当たらないか、つまりイチかバチかになってしまっている。そこが危ない」

 そう言われた。

 「キャッシュエンジンを持つということも、意識したほうがいい」

 そう聞こえた気がした。

 「キャッシュエンジン」って……、一体なんだ!?

 その後もすごく親身に話を聞いてもらえた。「うちで修行してから起業しても遅くなんじゃない?」とさえ言ってもらえた。しかしその話は辞退した。自分だけでやっていける圧倒的な自信が彼にはあったからだ。

 ***

 大学を卒業する間際から彼は、本格的にフルタイムで仕事を始めた。プログラミングのできる友人たちと、小さなマンションの一室を借りて開発に励んだ。いままでつくっていたゲームとは違い、大きなコストを掛けている。たとえば、ゲーム中に流れる音楽やイラストはすべてプロに依頼し、クオリティの高いものを要求した。これまでは大学の友人たちにボランティアでつくってもらっていたのだが、こうしたほうがのちの人脈も築けると考えた。

 最初のゲームが完成した。デジタルネイティブの彼らはSNSを駆使してゲームの宣伝をした。最初は自分の学生時代の友人たちにゲームをプレイしてもらっていた。それが徐々に広がっていった。だが、ゲームのダウンロードランキングの上位に入るまでには、遠かった。

 スマホゲームの開発は、完成した時点で終わりではない。運用やメンテナンスのために人員が必要となる。そのため彼の会社はしばらく宣伝を続け、このゲームを長く売れるものにする戦略をとった。だがそれは簡単な道ではなかった。

 会社は何をするにもお金が必要になってくる。社員も昔なじみの友人とはいえ、給料を支払わなくてはならない。そのためには売上が立たなくては話にならないのだが、発表したばかりのゲームにすぐ収入がついてくるわけではない。そのため彼はまた別の事業を企画しなければならなかった。だが、一つゲームをつくったばかりのため、開発能力が不足していた。ありていにいえば人もお金も足りなくなってきていた。

 しばらくの間、彼の会社は収入のない状態で、最初に開発したゲームの運用を続けつつ、新たな事業の開発をしなければならなかった。しかしそれは無謀な計画だった。エンジニア、つまり彼の友人も寝る間を惜しんで仕事をする日々……。それも、収入が入ってくるまでの我慢だと言い聞かせていた。

 だが、期待に反して入ってくる収入はいつまでたっても微々たるものだった。最初から課金前提の有料ゲームをつくってもファンはつかない。だから無料のゲームでまずダウンロード数を上げて、広告収入で稼ぐモデルにすればうまくいく……。そう考えていた。それは安易な発想だった。

 収入はない。だから仕事を増やさなければならない。だが人手は足りない。外部から資金調達してくる手もあるが、そんなことができる会社は極々稀である。したがって新しい事業やプロジェクトの開発を始めるのも難しい。

 そうこうしているうちに、彼の会社は仕事がなくなってきていた。社員である友人たちも手持ち無沙汰になりつつあった。その様子を見て、彼はいっそう奮起した。

「こいつらは意識が低い。やっぱり、起業家じゃない人間はやる気がない。この会社が大きくなったら、絶対こんな奴らは雇わない—」。

 在学中は、大抵のことは仲間と一緒にやることができた。企画も、イラストや音楽の発注も、開発も、すべて自分たちでできた。それが自信になっていた。しかしそれは学生の遊びに過ぎなかった。学生という身分がなくなったいま、お金の問題もシビアに発生してくるようになった。かつての連帯感は、仲間への不信感へと変貌していた。

 「世の中そんなに甘いもんじゃないよ」

 あの時、起業家から聞いた言葉を思い出した。そう、確かに世の中は甘くはない。やる気のない人間はやる気のある人間の足を引っ張るし、力のない人間は能力のある人間に支えられている。普通の会社は、いや社会は、そうやって不必要にバランスをとっている。だが、自分は違う。俺は一人でもできる! もっと俺が頑張らなければならないんだ……。

 ***

 それから半年経たずに、彼は会社を畳んだ。そういうものだったのだ—。

 これが途中で夢に破れるベンチャー企業のよくある一例である。

成功するベンチャー企業は何をやっていたか

 一方、経営を上手く軌道に乗せられたベンチャー企業は、まったく違う起業のやり方をしているケースが多い。次に二つ、ある企業の例を紹介しよう。どの企業のことか? また何が先のベンチャー企業と違うのか、あなたはわかるだろうか?(引用文中の(略)は筆者による。以下同)

 当時私は、プロのミュージシャンになりたいと考えていたのですが、歌が下手で(苦笑)。(略)それで、目標を切り替えました。同じ夢を持っている才能ある友人をデビューさせるために、レコード会社をつくると宣言したのです。ならばビジネスの中心地・東京に行って、経営者を目指さなければ。私が起業家を目指すようになった原点です。(略)

 そんなこんなで、音楽の道はあきらめ、まずは東京の大学へ行こうと、高校3年の夏から猛勉強を始めました。それまでまったく勉強してなかったので、偏差値40台からの大学受験でした。結果、私は青山学院大学経営学部に合格。(略)

 東京に行けることは決まったものの、最初の(略)12年は雀荘のバイトにはまり、怠惰な生活を続けました。結果、留年。それでも先走って東京の二子玉川に居を移した私は、バーテンダーのバイトを始めます。

 そんなある日、バーの先輩スタッフから、「(略)お前の夢はなんだ?」と質問されてハッとしました。そうだった。自分は経営者になるために東京に来たんじゃないか、と。(略)その先輩に「私は会社を創りたいのです」そう宣言した私は、まずは「会社」というもので働いてみようと、すぐにアルバイト情報誌を購入して新たなバイト先を探し始めました。(略)

 そして私は、(略)元リクルート社員たちが中心になって立ち上げた会社で営業の仕事を始めるのです。大手通信会社が発行するフリーペーパーに始まり、採用情報誌、スクール情報誌、タウン誌、看護士向け求人情報誌などなど、本当にさまざまな業種、業態のメディアの広告営業を経験させてもらった。夏の暑い日でも、飛込み営業を1100件するなど、自分にさぼることを許さず、一所懸命仕事をしました。(略)

 大学4年になり、(略)就職活動を開始。大手企業に行くつもりはまったくなく、ベンチャー企業に絞って会社を探しました。その活動の中で出合った(略)会社(略)への就職を決断したのです。(略)入社した私は、希望通り採用コンサルティング部門に配属されます。始発で会社に来て、始業時間が始まる頃には営業に出かけ、夜は終電ぎりぎりまで仕事。土日などの休日も当然出社。ゴールデンウィーク、夏休みもとらず、1日も休むことなく私は働き続けました。(略)結果、1年目にして自分ひとりで稼いだ粗利益額は5,000万円です。(略)

 そして入社1年目の12月、(略)私は起業することを決意します。(略)ちなみに、会社をつくることは決めたものの、事業内容はぎりぎりまで決まりませんでした。それでもインターネットの将来的な可能性の大きさ、そして、インターネット業界に営業がいなかったということもあり、インターネット業界の営業代行という方向性で、事業を運営していくことに決めました。(略)

 スタート時は、メンバーが私を含めて3人だけ。全員、それこそ朝から晩まで、ウェブマネーという電子マネーの取扱サイト開拓、Webサイトの制作請負など、様々なインターネット関連商品・サービスの営業代行に明け暮れました。

 (略)インターネットのマルチベンダー(自社の技術だけではなく、様々な企業の製品を組み合わせてシステムを構築すること:筆者注)のままでは、将来どうなるか危うい。そう考えていた私は、この頃から自社開発の強い商品・サービスを確立しなくては、と思っていました。そんな中生まれたのが、クリック保証型のバナー広告システム(略)です。システム開発を手がけたのは、オン・ザ・エッヂという会社でした。(略)

 そうして自社独自のサービスができ上がり、徐々に社員数も増え、売上高も増加。初年度初の決算売上高2,000万円は、翌年1999年には一気に45,000万円となりました。2,000万円の赤字ではありましたが、当社設立から丸2年後に東証マザーズに上場を果たしたのです。その記念すべき日は2000324日、当時の私の年齢は26歳でした。

 答えがわかった方も、答えが気になる方もいると思うが、一旦答えは置いておいて、もう一つ別の会社の創業期の物語も見てみよう。こちらはその起業家の著書からの引用である。

 事業計画書も、ねらい通りにはいかなかった。(略)だからといって、事業計画が大失敗だったかというと、決してそうではない。計画書の中に入っていなかった仕事が、山のように転がり込んできたからだ。初年度だけで1500万円から2000万円ほどのキャッシュフローが生まれ、売上高は約3600万円に達した。(略)つまり初年度の売り上げは、事業計画書の中で予想していた「3260万円」をはるかに超えてしまったのである

 何がこの企業の創業初年度の売り上げ3600万円越えを可能にしたのか? この経営者は、次のように語っている。

 実は秘密なんてものは、何もない。とにかく熱心に、きちんと営業を続けただけの結果だ

 では、この経営者は何の「営業」を「きちんと」続けた結果、創業初年度の売り上げ3600万円越えを達成したのか? なんのことはない。ウェブページの制作業務の営業を続けたのだ。同著に公表されている事業計画書の「すでに収入が確定しているもの」という項目には、次のような箇条書きがある。

(1) A博物館WWW制作:予算1000万円(予定)
(2) C美術館WWW制作:予算1200万円(年間/予定)
(3) 株式会社D社WWW制作:予算200万円(予定)
(4) 外資系F社WWW制作:予算200万円(予定)
(5) I社WWW制作:予算(初期180万円、月額60万円)

 WWWはワールドワイドウェブ、すなわちインターネットのことだ。少し古い表現になっているが、これはホームページの制作のことを意味している。この経営者は同著の中で引き続き次のように述べている。

 とにかく日銭を稼ぐことを第一目標にして、ウェブ制作やホスティング(サーバーを貸し出す事業:筆者注)などの事業に精を出したのである。

 当時は新しいビジネスモデルがもてはやされ、他社が思いつきもしなかったような新たなサービスをいち早くスタートさせるのがカッコいいと思われた時代だったから、ウェブ制作やホスティングなどの業務はいかにも地味で、カッコ悪かった。でも流行の最新ビジネスモデルが一銭のカネも生み出さず、コストをどんどん吸収してベンチャー企業の経営を悪化させていくのを横目で見ながら、ウェブ制作やホスティングはきちんと毎日毎日、安定した収入を上げ続けてくれたのである。

 おかげで(略)経営状態は、きわめて安定していた。創業以来、単月で一度は赤字を出したものの、それ以外はこの8年間、単月度黒字を続けている

 一社目と二社目、何という会社の創業期の話だったかおわかりだろうか。一社目は、私が新卒で入った会社でもある藤田晋さん率いるサイバーエージェント。二社目は、ホリエモンこと堀江貴文さんが起業し、現在はLINEに吸収合併された会社であるライブドアの前身のオン・ザ・エッヂである(前者は、「DREAMGATE」のインタビュー「第18回 株式会社サイバーエージェント 藤田晋」より、後者は堀江貴文著『堀江貴文のカンタン!儲かる会社のつくり方』(光文社)より引用)。

 この二社を取り上げたのは何もお二人が有名だからではない。本書にとって重要な共通点がこの二社にはあるからだ。

 この二社の創業時の共通点とは何か? それは、最初から大きな売上を上げていることだ。たとえばサイバーエージェントの売上は、一年目に2000万円、二年目には45200万円に達している。また、オン・ザ・エッヂは一年目に3500万円、二年目には1400万円を記録している。その後、オン・ザ・エッヂは、8年間連続で単月度黒字を続けていた。

 この二社には、初年度から大きな売り上げを上げていること以外にも重要な共通点がある。それは初期の時代に、一般の人向けの派手で目立つ事業ではなく、法人向けの地味だが堅実な事業を行っていたことだ。結果、「何の事業を行っている企業なのかわからない」とさえいわれていた。

 サイバーエージェントであれば、アメーバブログやアメーバピグを運営するアメーバ事業をヒットさせるまで。オン・ザ・エッヂであれば、ポータルサイトのライブドアやライブドアブログをヒットさせるまで、具体的な事業内容は、人々に大きくは知られていなかった。つまり、世間からすると目立たず地味な事業で創業し、堅実に稼ぐ形で操業を続けていたのだ。

 こういった、安定的にキャッシュ(現金・キャッシュフロー)を運んできてくれる事業で起業を行うことを、私は「キャッシュエンジン起業」とよんでいる。また、そこから生まれるキャッシュを原資にして、他の新規事業に繰り出していく経営方法を「キャッシュエンジン経営」と呼んでいる。

 『起業3年目までの教科書 はじめてのキャッシュエンジン経営』において私は、このキャッシュエンジン起業とキャッシュエンジン経営の方法を紹介していきたいと考えている。(トライフォート代表取締役CEO 大竹慎太郎)



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